自責
ここ最近の新聞には、震災で家族や仲間を亡くした方たちの思いを載せた記事をよく目にします。
そしてその多くの人たちが、自責の日々に苦しんでおられます。
なぜ山に逃げる判断ができなかったのか・・とか
会議のためにその場にいなかった自分は助かったが、多くの部下たちは津波に流されてしまった。なぜその場にいなかったのだろう・・とか
数年前に津波を想定して、5.5mの盛土をして建てた役所が、10m以上の津波に流されてしまった。なんで想定できなかったのか・・とか
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たくさんの自責の念に苦しんでいる人たち。
先日テレビでもやっていました。
6〜7才くらいの震災孤児の女の子までもが、自分一人が逃げて助かってしまったと、責任を感じてしまっているのです。
びっくりしました。
でもそこには、きれいごとのように聞こえそうですが、理屈抜きの愛を感じます。
形は違いますが、病気になりあの世に旅立った息子への親としての自責の思い。
3年半以上経った今でも、しかも「いまここ」に出会い、いろいろなことがわかってきて、心から救われているはずの今でも、この思いは離れていきません。
震災に遭われた方たちの苦しいコメントを耳にする度、自分のことと重ね合わせてしまいます。
でも震災に遭われた方たちのコメントを聞くにつれ、後悔や自責の思いを持つことは、純粋な愛があるからこそなんだということを感じることができて、こんなふうに自責の念を抱いてもいいのかもしれない〜と思えるようになってきました。
こうして震災に遭われた人たちから学ぶことはたいへん多くて、これからもそのことに感謝しながら、心の平穏が早く訪れることをお祈りしていきたいと思います。