おっかあのブログ

そうか!作ればいいんだ!

スピリチュアル本

思い返せば、息子が別次元へ旅立ってから、いろいろなスピリチュアル本を読んできました。
一日に何度かそういった本を覗かないと気が済まない・・・中毒です。
そんな時がしばらく続きました。

特に、自分と同じような経験をした人の話や、あの世の話などが書かれているようなスピリチュアル本を必死で探しては貪り読む、といった具合です。
でも最近は、阿部敏郎さん関連の本ばかりで、あの世のことや亡くなった人がどうこう〜といった本は読まなくなりました。


それは・・・

子に先立たれるといった同じ体験をした方達の体験談やそれを克服していった体験談を読んでいる時、おっかあの中でこんなことが起こっていたことに気がついたんです。


ここからは、恥ずかしながらおっかあの心の醜さをさらけ出すことになってしまうのですが・・・・




まず、お子さんの亡くなり方に対して、おっかあの醜い部分の心はなんて思ったか・・・
「ああ〜、これは気の毒。この人に比べたら、まだうちの方が幸せかも。」とか、
その逆もあります。「このくらいだったら、まだいい方じゃない。私の方が辛いよ。」
なんて・・・


子を亡くした辛い心の内を語った部分について、おっかあは・・・
「この人、悲劇のヒロインを気取っているような感じがする。」
「悲しんでいる自分に酔っているんじゃないか?」

・・・悲しく辛い思い、すごく解るのに、こんな風におっかあの心の奥の奥の方では冷めた見方をしているんです。
なんておっかあは酷いことを思ってるんだろう〜ひどすぎる!と思っている自分も同時にいるんです。



次にその苦しい気持ちを、ヒーリングやら瞑想やら前世療法やらといった精神世界の次元で克服していく部分では・・・
「ちょっと違うんじゃないかな?」とか、
「なんかうさんくさくないか?」なんて・・・

そして、克服していった心の内を語っている部分では、
「この人、あんまりわかってないな。」
「そういうことじゃないと思うんだけどな。」
それと、
「この人が羨ましい〜、それに比べて私は〜。」なんていう声も自分の中から聞こえてきます。




・・・・・・・こんな風に、
同じ思いとして共有しているにもかかわらず、もう嫌になってしまうほど、おっかあの奥底で醜い思考が渦巻いていることに気がついてしまったんです。

天使と悪魔で言ったら、悪魔の声とでも言いましょうか?
今まで、この悪魔の声が表面に出てくるのを押さえようと、無意識のうちに見て見ぬ振りをしていました。
誰しも、綺麗な心でいたいと思うでしょうし、なのにこんな声が自分の中から出てきたら、これは嘘だと思いたいですから。

こんなことが、おっかあの中で行われていたんです。


散々、自分と比べて競い合ったり、批判したりした挙句、最終的にもっとこの人のように息子と接すれば良かった〜こうすれば良かった、ああすれば良かった…
なんていう、後悔の念でいっぱいになってしまうんです。




自分でも気がつかないくらいの心の奥底で、

比較、競い合い、批判、評価、後悔

といった自我がうごめいていたんですね。
それが最近になって表面に出てきたというわけです。



こんなことでは、黒斎さんの言う、源(ソース)とおっかあを繋ぐパイプがどんどん詰まってしまいます。
辛い思いを共有したくて、その苦しみから少しでも解放されたくて、こういった本を読んでいたはずなのに、これじゃあ逆効果です。

もちろん、参考になることも、元気付けてもらえることもたくさんあります。

きっと同じような体験談なだけに、いろいろな想いが巡ってしまって、思考まみれになってしまうんだと思います。
とにかく、こういった本は、ホッとした気持ちで読めないな、ということに気がついたんです。



それよりも、今現在進行形で同じような思いをしている人たちとのやり取りの方が、おっかあにはスッと入ってくるんです。
例えば、こんな風にブログとか・・・(^_^)
それから、悟りとか瞑想関連の本を読むこと。
これは一見息子のこととは関係ないような感じがしますが、実は今の息子のことを理解し、納得し、近づくことのできる本のような気がしてます。
 

醜いも綺麗もすべて自我の仕業。
どちらも解放して、本来の自分を思い出したいですね。
悪魔の声を、封印していてはいけないと思うんです。
今まで醜い部分を封印していた蓋を開けて、すべてを解放していく必要はあるなと感じています。

ここからが始まりなのかも・・・