おっかあのブログ

そうか!作ればいいんだ!

4月10日
入院して20日後
母は旅立ちました。


お腹の調子がなんとなく変だって言い出してから
あっという間でした。

まるでキツネにつままれたようです。


4月7日と8日。
黄疸で土色になってしまった母の横で
二晩付き添いました。
付き添ったからって、何をするわけじゃないんだけど、
ただ、心配だから付き添っただけです。
最後の晩は、弟が付き添いました。

一ヶ月前、ちょっと胃が変だと言いながらも、
カラオケに行ったり、編み物教室に行ったり、
いつものように元気に遊び歩いていました。
3月12日息子の月命日に、お線香をあげに来てくれて、
そのとき、元気のないごんの様子を見て、
かわいそうに、早くよくなれ〜って
ごんの背中をさすったんだーと、言ってました。

そのあとも、私は大丈夫だから、
ごんを心配してあげなよ
なんて言ってました。

それが、一ヶ月も経っていない4月7日、
動けなくなって、話もできなくなってしまった母の横で
付き添っているおっかあがいました。




弟もうちも、仕事は製造業。
衰退していく日本の製造業ですが、
最近弟のところもうちの会社も、なぜか仕事がどんどん入ってきました。
苦しんでる母に、
「弟は仕事が忙しくてなかなか来れなくてごめんって言ってるよ。」
って言ったら、
「それが一番安心。」
って言ってました。

母親っていうのは、どんなに自分が苦しいときでも、
子どものことを心配して一喜一憂していることが幸せなんだな〜
って、そのとき思いました。

そして、あるていど面会時間が過ぎると、
「もう大丈夫だから。」って必ず言います。
ちっとも大丈夫じゃないのに。


日に日に弱っていく母は、
天国の我が息子に(孫に)
「死んだら会えるよね、会いたい。」
なんて言ったりするようになりました。
「会えるよ。私も会いたい。」
こんな会話をしました。



ナチュラルハーモニーさんの提唱する
『医者にも薬にも頼らない生き方』
これを実践しているおっかあですが、
その傍らでは、何十年も血圧と糖尿病の薬を服用していた母がいました。

でも少しずつ、ほんとに少しずつ、
おっかあの言っていることを、
胡散臭がらずに、聞く耳を持ち始めていました。


父も母も息子も、畳の上で往生できませんでした。

わたしはきっと、家でポックリ逝ってみせるから!

父よ母よ息子よ、よお〜く見ておれ!