味わう
本日の阿部敏郎さん「いまここ」ブログの一文・・・
>未来志向にならない生き方は、すごく短いスパンで使って初めて的を射ます。
たとえば駅まで歩いている時、歩くという行為が駅に着くための手段ではなく、歩いているということ自体を目的とするのです。
すると一歩一歩の感覚が違ってきます。
足の裏が大地に触れる感触、肌を通り過ぎる風の感触、街の雑踏の一つ一つの音。
まさに(いま)が、自分の中に飛び込んで来ます。<
〜〜そうそう、そうなんです。
病気になってからの息子は、今起こっているいるいろいろな感触をじっくり味わっているようでした。
調子の良い時は、一緒に近くの土手で愛犬散歩をしました。
抗癌剤で頭がツルツルだったので、外に出る時は帽子をかぶりましたが、土手では帽子を取り、
「ああ〜〜!気持いい〜〜!!」って。
そして、ゆっくりゆっくり歩くんです。
たまに外泊許可が下りて家に帰るので、お父さんの車を待っているとき、小雨の中傘もささずに、雨が肌に当たるのを気持よさそうに味わっていました。
以前も書きましたが、夏は暑いの当たり前。冬は寒いの当たり前。
だったら、暑さ寒さを味わおうぜ!
・・・っていうこと。
もうちょっと私なりに咀嚼してみると・・・・
焦点を「季節を五感で味わおう〜!」っていうふうに持っていくと、なぜか
『暑い』が『熱い』に
『寒い』が『冷たい』に、感じ方が変わります。
そうすると何が起こるか、
夏の暑さ、冬の寒さが身に堪えなくなるんです。
『暑い』『寒い』は、なかなか味わう気になりせんが、
『熱い』『冷たい』は、なんだか味わえるんです。
以前、不思議な体験をしました。
真冬、風の強い夜の愛犬散歩。
しかも、土手なので吹きっ晒しです。
もう寒くて寒くて、どうしたもんかと泣きそうになって歩いていました。
その時に、ふっと息子のことを思い出しました。
(夏だもん、暑いの当たり前じゃん。)
(ツルツルの頭に風を感じて、気持よさそうに歩いている息子の姿。)
(雨粒を肌で味わっている息子の姿。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうか!今は冬なんだ!
この寒さ、冷たい風を味わおう〜!!
・・・・と思った瞬間、
ぴたっと『寒い』感覚がなくなりました。
この冷たい風は、なんて心地よいんだろう〜
と、思ったくらいです。
そして、その後の私のとった行動は、
ジャンパーの前のボタンをはずし、全身で冷たくて強い風を感じながら(味わいながら)最後まで歩きました。
翌年の冬もそんな感じで過ごせました。
『味わう』という感覚。
忙しい毎日の中で、すぐに忘れそうになってしまう感覚。
時々思い出しながら生きていきたいです。