そもそも「肯定」をするっていうのは・・・
「肯定」をするというのは、
「これでよかったんだあ〜」
と感じることと勘違いしがちです。
それだと、先日の記事のように、息子があちらの世界に逝ってしまったことは、自分にとって「良かったこと」として納得できない限り、「肯定」したことにはならないことになってしまいます。
〜〜いきなり始まりましたが、先日の記事の続きです。
ただ、起こることが起こっただけ。
このことを、すっと自然に認めることが出来た時、目覚めが訪れる〜
その起こったことが、良かったとか悪かったとか、正しかったとか間違っていたとかいうんではなく、ただ事が起こった〜
〜そういうことなんですね。
そしてそこに判断も評価も存在しない。
ということです。
だから息子のことも、ただ起こることが起こっただけなんです。
そのことについて、いろんな判断は禁物です。
そりゃあ、この世の判断基準でいったら、最悪の出来事ですよ。
でもそういうことではないんですね。
ああ〜、難しい。
難しいなんて言っているうちは、まだまだ目覚めはほど通いですね。