おっかあのブログ

そうか!作ればいいんだ!

そもそも「肯定」をするっていうのは・・・

「肯定」をするというのは、
「これでよかったんだあ〜」
と感じることと勘違いしがちです。

それだと、先日の記事のように、息子があちらの世界に逝ってしまったことは、自分にとって「良かったこと」として納得できない限り、「肯定」したことにはならないことになってしまいます。


 〜〜いきなり始まりましたが、先日の記事の続きです。



ただ、起こることが起こっただけ。

このことを、すっと自然に認めることが出来た時、目覚めが訪れる〜

その起こったことが、良かったとか悪かったとか、正しかったとか間違っていたとかいうんではなく、ただ事が起こった〜

〜そういうことなんですね。


そしてそこに判断も評価も存在しない。

ということです。


だから息子のことも、ただ起こることが起こっただけなんです。

そのことについて、いろんな判断は禁物です。

そりゃあ、この世の判断基準でいったら、最悪の出来事ですよ。

でもそういうことではないんですね。


ああ〜、難しい。


難しいなんて言っているうちは、まだまだ目覚めはほど通いですね。