おっかあのブログ

そうか!作ればいいんだ!

患者よがんと闘うな

今日のお昼の番組「ワイドスクランブル」で、山本晋也監督のコーナーにて

「患者よがんと闘うな」の著者である、近藤誠先生との対談がありました。


なぜか、おっかあはこの本は読んでないんですが
何を言いたいかは、よくわかります。




以下、この先生の情報を引用させてもらいます・・・・・


従来のがん治療の常識を打ち破るとともに医学界に大論争を巻き起こしました。あれから17年、さらに臨床データは厚みを増し理論が深まったという新刊『医者に殺されない47の心得』は発売からわずか3か月で40万部を超えるベストセラーとなっています。

ところが、「がんは切らないでいい」という近藤医師の提言は、当時の日本の医学を否定するもので、対立は避けられませんでした。30年前から“講師”のままであるのは、「一種のパニッシュメント(処罰)ですね」と笑います。

「すべてのがんについて同じことは言えませんが、健康なときに検診で見つかったがんは、“もどき”が多いです。小さいままとどまっているものや転移しないがんもあります。それを無理に切ってしまうことで、体に負担を与えて、逆にがん細胞が増殖しやすい環境を作ってしまうこともあるんですね。私が提唱している『がん放置療法』というのは、『症状があるときには調べて治療しましょう』というもの。ただし、なるべく臓器を残すことが前提です」

「苦しいというのはだいたいは治療による苦しみなんです。(切除などで)臓器がなくなってしまうのは相当苦しい状態になりますし、抗がん剤は“一種の毒”ですから。同じ最期を迎えるにしても、抗がん剤の後遺症で苦しみながら死ぬようなことになってしまう」

近藤医師は、患者自身が冷静に考えてがんへの対処を考えることが大切だと言います。

がんが見つかればすぐに手術という今の潮流に真っ向から異論を唱えている
近藤医師ですが、昨年はうれしいニュースがありました。文化活動においてもっとも清新かつ創造的な業績をあげた人・団体に贈られる“菊池寛賞”を受賞したのです。

「すごくうれしかったです。今まで同業者をいらだたせることばかり言ってきましたからね」

今年で65歳の近藤医師。定年後はがんに関する著作をもっともっと書きたいとおっしゃっています



・・・・と、こういう先生です。




以前、紹介しました
中村仁一先生の著書「大往生したけりゃ医療とかかわるな」のことも、このコーナーでの対談でした。


一言で言えば、多くの日本人が信じているがんの三大治療を、真っ向から否定しているわけです。(緊急事態などは別でしょうけど。)


少し前までは、これらの内容を公にするのはタブーだったかもしれません。
こんなことを公にしたら、追放ものですものね。


でも嬉しいことにこの手の本や、この手の内容のテレビ番組は増えてきました。
そして、本はベストセラーにもなる。


さぞや、多くの日本人にこういった考えが浸透していると思いきや
おっかの周りでは、

すぐに薬に頼る人、
すぐに病院に駆け込む人、
すぐに検査をしたがる人、
抗がん剤で苦しんでいる人の

なんと多いことか!

なぜ、こういったことがもっと日本人全体に広まっていかないんでしょう?


それは、洗脳!
これに尽きると思います。



戦後、日本人の生活がどんどん欧米化していくとともに
生活習慣病が増え、それを予防する薬、抑える薬がどんどん開発され、
(治る薬と思っている人の多いことが悲しいです。)
医療機器もどんどん開発され、
そういった医療信仰による医原病も・・・
もしかしたら、ほとんどが医原病かもしれない・・・
(でも、患者は医原病なんて気がついていない)


いやいや、生活習慣病が増えたから薬が開発されたんじゃないかもしれない。
もしかしたら、製薬会社と国とアメリカと医療とが企てたシナリオは、
生活習慣病を増やすめに、開発しているのかもしれない〜と疑ってしまうほどです。


そして、病気の怖さを前面に打ち出し、国民を恐怖に陥れた後に、
こんな薬がありますよお〜
こんな治療法がありますよお〜
症状が和らいで、早く楽になりますよお〜
早期発見のため、検査大事ですよお〜と検査漬け

なあ〜んて、どんどん洗脳へと導いていったわけです。


・・・もちろん医療の世界の全部を否定することはできないですが。
中でも救急医療こそ、薬や最先端の医療機器が活躍するわけです。
なのに昨日また、たらい回しにされて亡くなった方がおられますね。
本当に医療が必要なところが手薄になってる。



医療現場の医師たちの多くは、
抗がん剤は効かないと、内心はわかっているようですし・・・
でもそれを声を大にして訴えることができなかった制度にも問題があり、
でも、そんな中で勇気を出してこのような先生方が徐々に立ち上がり、
その声を日本人がやっとキャッチし始めたことは、なんとも喜ばしいことです。

でも、まだそれはほんのわずか1%くらいにすぎないとも言われています。





息子は、悪性リンパ腫というリンパのがんを患いました。
そして、放射線治療も抗がん剤も、さらには骨髄移植までやりました。
それでも、放射線治療は緊急でやる必要があったと今でも思っていますが、
そのあとの、抗がん剤や骨髄移植はやらなければよかった、
と感じています。
早くにこのことに気がついて、この治療をしていなかったら
もしかしたら、今ごろ元気にドラムを叩いていられたかもしれない
とまで思います。



今までは、ここまではっきりこのことを口に出して言うことがためらわれていました。
それは、ものすごい後悔の念に駆られるからです。

でも、息子のおかげで洗脳が解けたおっかあたちには、微力ながらも、何らかの方法で発信をし続けていく役目があるんじゃないかって思うわけです。


ここ数日、おっかあはあえて後悔だらけの過去を振り返って(息子の病気とも向き合って)
今一度検証してみようなんてことをやってましたが、そんなことよりも、発信していくことが、おっかあの仕事なんだ!やりたいことなんだ!って思ったわけです。


ってことは、今のままでいいんだなって。


そう思えたら、息子が病気になったことは、やっぱりおっかあのせいもあったかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいいことのように思えてきたんです。


息子はよく言いました。
「だって、しょうがねえじゃん。」

以前、ブログにも書いたような記憶がありますが、
これは、解放を意味している言葉だなって思います。


息子「えっ?そんな深い意味ないけど・・・」
って言いそうですけどね。



だいぶ楽になってきました。


そしたら、ナチュラルに生きることをもっと楽しみたいと思うようになりました。

それとともに、
こういった、医療の問題などにもしっかりと目を向けて、発信をしていこう!
と思えるようになってきたわけです。
とにかく、息子のことで医療の矛盾を感じながらも、思い出したくないということで、見ないようにしていたんです。
でも、なんでだろう?
急に、このような本を再び読みたくなって、
しかも、息子の病気を思い出してみようとも思ったりして。


なんなんでしょうね?



まっ、深く考えず、
とにかく私たちは、病気にならない生き方をすればいいだけなんです。

それは、とってもシンプル。

本来備わっている、自然に則した生き方をすればいいだけですから。

そして、不自然を見極める目を養うこと、
これが大事かな。





ちょっと「患者よがんと闘うな」から、話がずれて、
だいぶとりとめのない文章になってしまいましたが、
こういったことが、公に出せるようになったのが嬉しかったんです。