執着
そもそもこのブログを始めたきっかけは、息子への想いや、
それとともに月日が経つにつれておっかあの内面の変化を
綴っていこうと思ったから始めたのですが。
とんと息子のことを書かなくなったおっかあ。
ちょっとここで整理してみたいと思います。
少し前までは・・・
食事の時は必ず息子の分も食卓に出していました。
息子の物は全部取っておいてました。
中学の時の服まで(誰が着るねん!)
息子が入院してた時に着ていたパジャマを着ることができないでいました。
お仏壇の左右にお花を欠かさず備えてました。
納骨もしばらくできませんでした。
等々・・・執着の塊でした。
じゃあ今はどうでしょう・・・
上に書いたことは、一切やめました。
ガシャン!(゚д゚)!
えっ????
なんと!まさに今、ゆのがお仏壇に乗ってお茶をひっくり返しました!
(こういうことがあるので、扉を閉めるようにしています。
以前は扉を閉めるなんて事ありえない!って思ってました。)
すでにお線香の火が消えているのに扉を閉め忘れていました。
しかし、なんちゅうタイミング!
こんなことってあるんですね。
息子が、
「閉めとかなきゃダメじゃないか!」って言ってます(^^;
でも、
「ついでにお仏壇の掃除ができたんだからいいじゃないか」
・・・っていう会話が成り立っているかどうかはわかりませんが・・・
母親の息子に対する執着はハンパないものだと思います。
娘に対してももちろんですが、特に
「母親にとって息子っていうのは、唯一無償の愛を捧げることのできる異性だ」
と、よくおっとうが言っています。
そうかもしれません。
ちょっと特別なんでしょうね。
だからより一層、執着心が強くなるのかもしれません。
だから失ったとき、何一つ手放すことができない。
すべて母親であるおっかあの懐の中に囲っておきたいと思ってしまうのです。
しかし今はどうでしょう。
お仏壇の扉まで閉めてしまうのですよ。
たぶんもう完全に息子への執着から解放されたのかもしれません。
きっと息子も肩の荷が下りたに違いありませんね。
じゃあ今はどんな感じかというと、
息子は空気のような存在になっているのかもしれません。
よく夫婦の関係で、空気のような存在なんていうのを聞きますが。
普段はあることを忘れがちだけど、無くては生きていけないもの。
でも夫婦のそれとはまた次元の違った感覚かな?
そこにはもっと深~い何かが確実にありますね。
・・・・
あっ!!そうか!!
空気というより、エネルギーなのかも!!
そうそう!今ストンと腑に落ちました。
今や、おっかあにとって息子の存在はエネルギーです!
よかった、この記事を書いてて(^^♪
この話を書いている途中、リアルタイムでいろいろ起こりました。
これこそ、息子の仕業です。
お仏壇、閉めたって別にいいんだよ。気にすんな。
俺の存在は空気か?
いやいやこの世の物とはちょっと違うんだけどな~
エ〇〇〇―だよ、ほらっ。
って感じで、おっかあに語り掛けていたのかもしれませんね。
しかしやっぱり、時には姿を見せてほしいものです。
さらに強い強いエネルギーを使って、
姿を浮き出すなんてことできないもんかな~?
ねえ、息子よ。
追記・・・
ゆのにお茶をこぼされてお仏壇を掃除していたら出てきました。
執着のかたまりが。
息子のへその緒の入れ物の中から、
息子が赤ん坊のときの髪の毛と、
初めて切った時の爪と、
最後、極め付け!
初めて耳ほりしたときの、耳垢~(;´∀`)
でもこれは捨てません(^^)v